事項:タ行


※年数は西域でもっとも稠密に遊ばれるフェランの村の開村からの数字。MHXX の主舞台は270年、MHRise の主舞台は275年となる。

タ行見出

ダウリヤ
角笛亭
トナミ・コクヨウ
トレイ・ニール

東 域

ダウリヤ

大陸中央の広大な大砂漠には南回りと北回りの陸路があるが、これが東側でひとつとなるところにある里がダウリヤ。実際には〝街〟といってよい規模と賑わいがある。

ただし商業ルートは陸路を通さない砂上船団の独壇場となっており、このあたりいろいろ軋轢がある。砂上船団は〝ハリム〟と呼ばれ、商人とハンターと解体師の渾然となった集団である。大きな母船(これがハリム)を中心に、一人〜二人で操る小さな砂上船(フートという)がハリムを取り巻いて船団が形成される。ハリム=猟団という面もあり、砂原のハンターは概ねどこかのハリムの一員である。

角笛亭

フェランの村の集会所であり、宿であり、村政の中心でもある(フェランの村は村長家は医院であり、行政は角笛亭が行っている)。また、開村のジャーヴィス家のことでもある。もともと初代のウォーレン・ジャーヴィスの家にトレイ・ニールらハンターたちが入り浸っていたのがはじまりで、村の中心となった。建物は当時のものではないが(ジャーヴィス家は後に別に構えられている)、ウォーレンの使っていた角笛が現存しており、名の由来になっている。

ウォーレンの角笛:開村のウォーレン・ジャーヴィスは、鉄壁を誇るランサーで、仲間のピンチには迷わず角笛を吹いたという。開村後引退まで使っていた角笛は十年を越えて壊れなかったといい、その角笛が今に伝えられている。

トナミ・コクヨウ(女 245〜)

主に太刀を使うハンター。高強度の特異なモンスター(ゲーム内の「二つ名」)を専門に追う「コクヨウの猟団」のリーダー。ユクモ地方イスミ村の出身。

頭脳労働は弟のユキナミに丸投げの「狩馬鹿」の太刀使いだが、他の様々な近接武器と弓にも高い技量を見せる(ユクモ武器のうち狩猟笛・ボウガンを除く種類)。ボウガンと狩猟笛については子どもの頃から一緒に狩をしてきたユキナミ(ボウガン)とミライ(狩猟笛)の得物として手も口も出さなかった。

フェランの村を気に入り、猟団の仕事がないときに度々訪れる(この機会を太刀以外の武器種の研鑽としているらしい)。フェランの村出身の人で蒼角の猟団で活躍しているエドワード・グローバーを「同年代で自分を上回る存在」と意識しており、エドの動向を気にしてフェランの村に来るのでもある。

裏話:イスミ村はヒスイ・コクヨウ・メノウの三氏族により開かれた村だが、ヒスイの祖は四門の一流と関係を持っていた。このことから代々ヒスイ家には人間離れした力を見せるハンターが見られる。また、三氏族は姻族でもあり、コクヨウの家にもヒスイの血は入っている。端的にはトナミの祖母はヒスイ家の末妹であり、トナミが太刀使いで見せるいくつかの絶技は余人には真似できない。当代でヒスイの血が最も色濃く出ているのはトナミだと見られている。
また、さらなる先祖にはフェランの村中興の英雄であるアリス・ニールがいる。アリスは村長となる前、遊学時代にイスミ村で子を生んでいた。トナミとユキナミはその子孫。もっとも、当時のコクヨウの人たちもアリスがどこの人なのかは知らなかったので、今も昔もこの繋がりを知る人はいない。しかし、トナミの人となりは実はアリスの生き写しであり、同じくアリスの再来といわれたカレンは「もしや」くらいに思っている。

トレイ・ニール(男 -19〜49)

フェランの村開村のメルヴィル・ニール(とフェラン)の弟。歳が離れていたので、姉兄より遅れてアィギルの村を出、ミナガルデではなくジオ・ワンドレオを拠点にハンターとして活動した。おおらかな親分肌の人で、十代後半にして侠客の風があったという。また、その性格からきまぐれにいろいろの武具を使ったが(これがヴィンセント・アーチボルトにオールラウンダーというスタイルを着想させた)、ここ一番では兄と同じく大剣を担いだという。

兄フェランの死とその墓を守る村が開かれたのを聞き、メルヴィルの力になろうと仲間のハンターと度々来村、ウォーレンと共に狩りに出た。このときのトレイ、ヴィンセント・アーチボルト、グウィン・グローバーの狩仲間がウォーレンの家に居候をきめていた様子が、後の角笛亭の前身となる。

トレイ32才のときにウォーレンが村付きを引退。併せてフェランの村に正式に定住し、村付きを引き継いだ。ヴィンセントとグウィンも一緒にフェランの村に移住。グウィンはトレイと結婚、トレイ36才のときに長男ラルフを授かっている。

42才のとき、メルヴィルの引退を受けて村付きをゆずり、二代目村長となる。トレイの功績としては、その顔の広さからメタペタットとミナガルデを中継する拠点の村という、フェランの村の性格を確定したことがある。息子ラルフの広域での活躍が輪をかけてもおり、この親子二代の間にフェランの村が周辺によく知られるようになった。