HUNTER's LOG
MONSTER HUNTER 0

調合と駆け出しと


人はモンスターのような強靭な身体を持たない。牙も爪も比べようもないほど貧弱だ。しかし、人にはモンスターにはない武器がある。それは人寄りに世界を書き換えていくという力・知恵と技術だ。これは狩場では調合という形で現れる。というよりも、調合とはそのような視点から捉えるべきものなのだ。

しかし、人が狩場においてはいかに無力で異質な部外者であるのかという実感がないと、その調合感覚を透徹させることは難しい。そして、その実感が得られる機会は、多く駆け出しの短い期間だけだ。あの世界の狩場に出るすべての人にとって、またプレイヤーにとっても、駆け出しの期間というのは実に貴重なものである。

二つの調合

以下の話は、ここの背景となっている物語の屋台骨に深く関わる内容なので、少々面倒で長くなる。

狩場からの恵みといっても、人は獲物の死体に齧り付くわけではないし、剥いだ皮をそのまま纏うわけでもない。得られたものは、人に扱える状態に変換され、そして富となる。その変換を実現するのが人の武器・知恵と技術だ。人がモンスターと渡り合うための武器とは、大剣であったりボウガンである以前に知恵と技術なのである。大剣もボウガンも、それによって人に扱える状態に変換された二次的な武器に過ぎない。

一方で、人はその知恵と技術によって書き換えられた世界の中に自らを住まわせ、長い歴史を歩んだ末、書き換えられる前の世界で上手く生きていく能力を失っていった。人には直接有効に扱えなくなった自然物に囲まれた環境が、狩場・モンスターの領域である。

アウェー感溢れる古代林

人がそこで生き抜く方法には二つのベクトルがある。ひとつはその自然物を人に扱える状態に変換する馴染みある方法。これを狩の中においてリアルタイムに行う技術が現地調合である(変換可能なものを環境全体の連続の中から「切り出す認識」が採集である)。

そしてもうひとつが、モンスターの領域に適応した存在に、人自身(は実は自然物である)を書き換えてしまう方法だ。これも低強度においては調合物を介して行われる。直接扱えぬ自然物を人に扱える状態に変換した、その調合物を仲立ちとして、自らをモンスターの領域に馴染ませるのである。狩場の調合にはこの二つの面がある。

古代林において、リオはこのことをレベッカに教えるために、三つの調合作業を念入りに指導した。すなわち弾の調合・けむり玉の調合・回復薬の調合である。

三つの調合

弾の調合
モンスターの領域にある自然物を自らの力に変換して狩を行う、この感覚を普段から持っているのはガンナーだ。フィールドにはカラの実やハリの実をはじめとする弾の素材があちこちにあるが、それそのものを手にしていてもなんの役にも立たない。しかし、それらから弾を調合することにより、フィールドは弾薬庫と化す。

上の「二つの調合」の前者「自然物を人に扱える状態に変換する」という行為をまことに端的にゲーム上でも実行できるのが弾の調合であるといえる。また、変換可能なものを「切り出す認識」が採集である、という点もゲーム上で良く体験することができる。速やかに弾を調合していくには、その素材のありかを良く把握し、環境全体の中から即座にそれと見分けて認識することができねばならない。

採集場所の把握が重要

まずリオはこの経験をさせることにより、モンスターの領域であるフィールドをレベッカのための環境に書き換えていく、という感覚を体験させた。そして、その結果として得られるもうひとつの重要な感覚についてもヒントを出していた。自分で調合した弾と店売りの弾と同じに感じるか、とレベッカに問うたのだ。それはかつてリオの師がリオに問うたことでもある。今回の話とはまた別になるが、いつかこの記憶が重要になる日がくるだろう。

けむり玉の調合
次にリオはけむり玉を調合し、使ってみせた。調査員を志すレベッカにとって、モンスターとの無駄な戦闘を避ける技術は最重要のものとなるはずだからだ。しかし、その実利にとどまらず、その仕組みにおいてよく教えたい内容のある調合物でもある。レベッカには、見えている(ということは向こうからも見えているだろう)ジャギィたちがまったく襲ってこなくなるのがたいそう不思議に思えたものだ。

この話の流れにけむり玉が登場したのは意外だったかもしれない。以下の話はゲーム上の(あるいはゲーム設定上の)話とはおそらくだいぶん異なるのだが、ここにMHの世界の仕組みの一端を持たせたい。上に見たように、けむり玉は煙幕によってモンスターの視覚を遮断するというものではない、としたいのだ(事実フルフルにも有効であるが、視力のあるモンスターに閃光玉が効かなくなるという点とは相容れない)。

調査員のマストアイテム

話は人の特異性にまで遡る。モンスターたちは大地をめぐる生命力の流れの中で生きている。あの世界の生命力とはわれわれが思うような胡乱なものではなく、時に結晶と化し集積するような実体のあるものである。モンスターはその流れを自明のものとし、それを感得して暮らしているわけだ。

その生命力の流れから大きく逸脱しているのが人である。知恵と技術で書き換えた自然界にないものを食い育ち、これも書き換えた自然界にないものを身に纏ってモンスターの領域にやってくるのが人である。その生命力の流れから逸脱した異質さというのがモンスターの感得する人なのだ。モンスターはハンターと出くわせば問答無用で襲ってくるが、彼らはその異質さに恐怖し、その異物を縄張りから排除しようとするのである。

モンスターは通常いう五感でもってハンターを感知する以前に、生命力の流れの中の特異点として人を感知して攻撃してくる。すなわちけむり玉とは、そのモンスターの感知能力を鈍化させる調合物なのだ(ツタの葉にその薬効成分がある)。リオは、けむり玉の効果を見せ、その仕組みを説明することで、人がモンスターたちといかに異なる存在であるのかを実感させようとした。その生命力の流れから逸脱している人、という点が次の最も重要な調合の焦点となるからである。

回復薬
店売りの回復薬よりも、現地で素材を調合して作った回復薬の方が若干効果が高い、というのはリオと縁のあるハンターたちにはよく知られた話である。自分の体の中にある、回復に使われる生命力は、狩場に出る数日前からその土地で得られた食物由来のものになっている。だから、その土地に生える薬草から作られる回復薬(生命力により身体が回復していく働きを高める)はよく馴染み、効果が高いのだとリオは説明していた。

これでレベッカもリオ一派

これも自然物のままでは効果が低いもの(薬草)に、その特性を引き出す素材(アオキノコ)を作用させ、より人に有効なものに書き換えているという話ではある。しかし、ここには先の「二つの調合」の後者「モンスターの領域に適応した存在に、人自身を書き換えてしまう方法」の一端もある。けむり玉の話に見たように、普段の人というのは生命力の流れから逸脱している存在なのだった。ここではそこにかなり大胆な背景を敷いている。

端的にいうと、狩場のハンターは、一時的に少しモンスター化するのだ。前稿で狩場で得た肉でこんがり肉を焼いて食べるのがその狩場への参加資格だ、と述べたが、その話の本質がここにある。つまり、モンスターの肉を食い、モンスターの生命力を取り込むことにより、ハンターは少しモンスター化するのである。もっとも、ただこんがり肉を食べただけではその生命力はほとんど取り込まれない(それが人の特異性)。それを人に馴染ませ、人を書き換えていくのが回復薬などの薬類ということになる。

旋律からというのも

十年前から回復薬の話を繰り返していた理由がこれだ。ここではその説明は端折るが、これはここの物語の屋台骨である「龍化」の話なのである。回復薬による回復とは低強度の龍化現象に他ならない。もう少し例を挙げると、得た生命力を一気に取り込んで急激なモンスター化を促し、驚異的な回復を行う薬類もある。秘薬がそうだ。その薬効の肝はマンドラゴラという龍化の意を名に持っている(と、ここではする)キノコにある。しかし、これを連続すると、本来の龍化に近い状態となり、普通人は死んでしまう。

同様の危険がある薬類に強走薬がある。こちらは反対に、こんがり肉の中にある生命力をより純度の高い形で取り出す薬類だ。これは人がその身体操法のほうから龍化に近づいた、鬼人化の技などと相性が良いが、これもオーバーフローすると人を死なせてしまう。

ともあれ、リオは現状は龍化は勿論、モンスター化という言葉も使わずに、人が減衰させてしまった生命力を人に馴染ませ取り込むことによって回復するのが回復薬なのだとレベッカには教えた。聞いただけでは半信半疑というところだが、実際狩場で得た傷部が、恐ろしい速さで(それは「再生」に近い)治るのを自分の体で経験しては是非もない。リオが慎重に言葉を選んで説明をしているようだというのも感じられ、レベッカはどうも大変な話のとば口に来てしまったようだと思ったものである。

駆け出しのとき

さて、基礎の基礎という調合の話がまったく予想もしないものとなって、少々途方に暮れているレベッカではあるが(まあリオのことはよく知っているので、タダで済むとは思っていなかったが)、そちらはひとまず置いておこう。

上のような背景を狩の根底に保ち続けるには、ハンターとしてもゲームプレイヤーとしても、駆け出しのころの実感というのが貴重になる。ここでまたその仕組みから説明すると大変面倒なことになるので、結論だけ述べておこう。なぜ駆け出しの経験が重要なのか。それは、それがプレイヤーとハンターが重なり合う唯一の機会だからだ。

しかも、十分に重なる瞬間というのは二回しかない。はじめに力尽きたときと、はじめに大型モンスターを倒したときだ。これは作品ごとの駆け出し期間ではなく、MHを初めてプレイした際の一回限りの話である。それ以降はプレイヤーとハンターは乖離する。数千時間を費やして、何十回最初からやり直しても、再びその重なりが体験されることはない。

そのただ一度の実感。リオレウスの尻尾に弾き飛ばされ、立ち上がるところを轢かれた挙句にブレスを食らってキャンプ送りというあのとき。駆け出しプレイヤーとして、ハンターとして「こんな化け物と戦えるか」と半ベソかいてのあの実感である(「勝てるか」ではなく「戦えるか」だった)。そのときのモンスターの強さだけが、プレイヤーがハンターそのものとして一度だけ経験できるモンスターの本当の強さである。

そして、その強さを前にし続けるために必要なのが、前段に見たようないろいろの背景なのである。「あのときの実感」を基準にするなら、ひとりのハンターの切った張ったがリオレウス以上のモンスターを倒す話など、到底納得できない。ゲームプレイヤーとしてそれができるようになっても、それだけでは「あのときのハンター」は生きていないのだ。では、どういう話なら納得できるのか、それを紡ぎ続けることが「あのときのハンター」を生かし続け「あのときのモンスターの強さ」の前に立たせ続ける方策なのである。

レベッカは数年ぶりの「駆け出し」だった

昨今のMHタイトルはスタート時点の準備が随分と充実した。しかし、それは上に見たような駆け出しの実感を遠ざける(ないし薄める)ことになるのじゃないかと少し不安ではある。かつては肉焼きセットを買うお金を貯めるのも、意識してそれを行っていたものだ。調合書も三巻以降などそう簡単に買えずに「もえないゴミ」が量産されたものである。

ここの登場人物たちはいつの作品でも、今でもそういった駆け出しをしている。はじめに貰える武器防具は売り払い、所持金を0近くにする(値の張るものをまとめ買いして売り払う、というのをくりかえすと所持金は減る)。まるで定められた儀式であるかのように作品ごとにそうするのは、それがかつて本当の駆け出しの実感を得たときの状態だったからだ。儀式が伝説を再話するように、その宝を繰り返し思い起こし、MHのプレイヤーは、自身のハンターを生かし続けていくことになる。

繰り返される儀式

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概要
MHシリーズの基盤にはどのような構成があるべきか、ここでは「MONSTER HUNTER 0」のタイトルでそれを考えてみたい。

▼ ベルナ村

調査員と肉焼きと
話はベルナ村と古代林に移る。ここでは調査員のタマゴの活動を一方の筋としていこう。狩ではなく調査が目的で狩場に入る人の活動と、それに先んじる、ゲーム上のチュートリアル、肉焼き・調合などの基礎の基礎のところも扱っておきたい。

古代林をめぐる1
せっかく調査員(のタマゴ)が主人公なので、古代林フィールドのレポートをまとめよう。例によってゲーム攻略のための話ではなく「あの世界の調査員は何を調査するのか・すべきか」というような視点寄りの話となる。もっとも、体験学習に来た学生の話なので、扱う範囲はドスマッカオあたりまでとなる(これとて討伐などできるわけもない)。

古代林をめぐる2
古代林エリア3の洞窟から、エリア4・5・7あたりは、表の森とでもいうべき場所だ。以降の深層に比べれば、森丘や密林と(あるいは樹海と)似たような樹林地帯である。故にモンスターにとっても住みやすく、縄張りを主張したいエリアであるので、狩においては主舞台ともなる。

▼ その他

森丘とランポスと
それぞれの土地には、そこに良く適応し、旺盛に繁殖するモンスターがいる。これをどう制するかがその土地に村落を営む人々、その村のハンター第一の課題であり、森丘に近いココット村ではランポスがその対象となる。

補:武器の背景
「この武器をとことん使いこなしたい」という武器を持つハンター(プレイヤー)はさいわいである。武器種ではなく、特定のひとつの武器ということだ。それがあって、本当に「とことん」だったら、それだけで1シリーズ1000時間の狩猟経験となるだろう。MHにおける武器への愛着というのは、本来そのくらいのものであるはずだ。